「嵐が丘(上)」エミリー・ブロンテ著、河島弘美訳

今年2月に出た新訳。読み易い。イッキ読み!と思ったけど、辛い。下巻は耐え難くてすぐに挫折。
昔の人は病気で簡単に命を落としたりして、大変だったのだな。生きる苦しみ、死の苦しみはいまと比べようもないくらい苛酷だ。だから人を激しく愛したり、激しく憎んだりっていうドラマが生まれるんだろうか。
恵まれた家庭に生まれたキャサリンも、拾われっこのヒースクリフも結局幸せにはなれなかった(下巻の最後だけ斜め読みした)。人が生まれながらに背負っているもの。それは、一族の歴史であり、自分に受け継がれた肉体や精神や魂、血である。それを否定することも、消すことも、見て見ぬ振りもできやしない。ヒースクリフは己の出生を必死に克服しようと、知性や教養を身につけようとした。でも、彼の風貌はどうしたって変えようもない。

運命はあまりにも残酷な物語を用意している。教育は非常に重要だ。彼が無条件に愛され、相応の教育の場を与えられていたら、こんなことにはならなかったはずと思ってしまう。彼の最大の復讐がヘアトンなのだ。ヘアトンこそ「嵐が丘」最大の悲劇の人物であることは間違いない。その悲劇の度合いといったらヒースクリフの比ではない。憎むべき相手さえも失ったヘアトンはどうなってしまうのか。
この物語に救いはない。あるのは、教訓だけだ。こんな悲劇がもたらされてはいけない。現代ではありえないはずの虐待がいまも無力の子供達に容赦なく向けられている。