親戚に不幸がありまして・・

生きるとか死ぬとか普通の人が年に一回しか考えないようなことを毎日考えてしまう。というか、常に意識の片隅みにある。
何で生きなくちゃいけないのか、何で生きることを前提にしなきゃいけないのか?
ふと、そーじゃないのかもと思った。ほんとは「死ぬ」ことが前提なんだ。誰でも死ぬ。誰でも生き続けるわけじゃないんだ。当たり前だけど。当たり前だからこそ見落としていた。いつ死ぬかわからない。だから精一杯生きるんだ。たまに持ってるもの全部処分して消え去りたいような気分になるけど、そんな気分抱えながらそれでも生きるんだ。負けてもいいし、負けでもいいじゃないか。
自分で決めたこと。自分で選んだこと。他人を羨んでる暇などない。今が一番底だから、これ以上堕ちることはないから。大丈夫。
シロップが聴きたい。聴こう。効いてきた。
ネガティヴとか言われてるけど、そうじゃないんだよ。ネガティヴを叩き潰す負のパワーだと思う。単にうだうだ言ってるわけじゃない(一見、一聴そう聴こえるけど)。やっぱり幸不幸は表裏一体なんだな。前にも書いたけど。
親戚に不幸があって、生きることいつもより貴く儚く感じる。
村上春樹の「風の歌を聴け」が無性に読みたいけど、いま持ってない。「死は生の対極にあるのではない」みたいなこと書いてあって、その次が思い出せない。「死はいつも生とともにある」とかそんな感じだったんだけど。あれ、太字でくっきりはっきり書いてあってすごいインパクトあった。そしてすごく優しくて残酷な文章だった。

(ry
I'm ハピネス
どうなっても
悲しみは消える

だけどたまに思うんだよ
これは永遠じゃないんだって
誰かの手にまた
この命返すんだ

ねえ そんな普通を
みんな耐えてるんだ
ねえ そんな苦痛を
みんな耐えてるんだ
(ry

そうか そうか
そうだったんだ
そんな そんな
そんな もんだ

Syrup16g 「ハピネス」(一部抜粋)